第77回ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)を黒沢清監督が受賞するなど、いま話題の映画『スパイの妻』。
第二次世界大戦に向かう神戸を舞台に、あることから国家機密を知った商人夫婦の正義と愛、過酷な運命を描いた作品です。
「第二次世界大戦」というこれまで幾度も描かれてきた題材でありながら、“国家反逆(スパイ)”を軸とすることで新しい形の戦争映画に仕上がった『スパイの妻』の魅力を紹介していきます。
あらすじ
第二次世界大戦の気配が近づきつつある日本。
神戸で貿易会社を営む福原優作(高橋一生)を夫にもつ聡子(蒼井優)は、豪奢な洋館で愛する夫とともに満ち足りた生活を送っていた。
そんなある日、優作は物資を求めて甥で社員の竹下文雄(坂東龍汰)とともに、満州へ渡航する。
だが、医薬品を手に入れようと向かった先で偶然にも非道な国家機密を知った二人は、現地で手に入れた証拠を証人とともに世界に知らしめる計画を立てることに。
一方、何も知らない聡子は、昔馴染みでもある神戸憲兵隊の分隊長・津森泰治(東出昌大)に呼び出され「優作が満州から連れ帰った女性が、有馬で亡くなった」と告げられ、「何か知らないか?」と質問される。
愛する夫との幸せな生活が崩れていくことに不安を感じた聡子は、ある行動に出るのだが…。
黒沢清監督が描く戦争の異様さ、恐ろしさ
第二次世界大戦を題材にした作品は邦画にも数あれども、その多くは第二次世界大戦下、もしくは戦後を描いた作品が多いのではないでしょうか。
『スパイの妻』は、戦前を舞台としており、なおかつ「貿易商人とその妻が国家反逆者(スパイ)になっていく」という珍しい内容。
これだけでも興味を引かれるものがありますが、『トウキョウソナタ』『岸辺の旅』などで国際的な評価も高い黒沢清監督が手掛けるというのですから折り紙つき。
筆者も実際に劇場に足を運んで観ましたが、ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞も納得の出来栄えでした。
『スパイの妻』において特に注目すべきだと思うのが、“戦前が舞台”であるという点。
戦後の暗い雰囲気から立ち直っていくという明るさもなければ、戦場で命を散らす悲しみといったドラマもありません。
そこにあるのは、ただひたすら日本が戦争に向けてひたすら重たい空気感に包まれていくということのみ。
劇中で聡子が「実は私、狂っていないんです。でもそれが狂っているということなんでしょうね、この国では」というセリフを言うシーンがあるのですが、まさに当時の日本の空気感を如実に表した一言といえるでしょう。(とはいえ聡子も十分に狂っているような気もしますが…)
冷静に考えれば許されないような非道な行為も、当時の日本であれば許される“正義”であり、それを正そうとする信念こそ“悪”である。
そしてその悪を罰するためであれば、さらなる非道に手を染める…。
特に東出昌大演じる憲兵隊の分隊長を通して描かれるその様は、まさに異様という他なく、同時に恐ろしさも感じさせる展開を見せます。
蒼井優が愛らしくも怖さを感じる妻を熱演
蒼井優演じる聡子は、愛する夫・優作との幸せな生活を何よりも望む女性。
夫を思って献身的に寄り添う姿には、愛らしさを感じる人も少なくないはず。
しかし、優作が満州に渡ったことで、そんな彼女の生活は一変してしまいます。
これまで何も考えずにただ優作を信じることができた聡子に、疑念や嫉妬心といった負の感情が生まれるのです。
優作を信じたいがために、彼が抱えているもの、やろうとしていることを探る聡子。
そして優作が抱えているものを知ったとき、聡子自身も過酷な運命を背負うかどうか決断を迫られて…。
序盤はただ愛らしいだけの聡子ですが、物語が進むにつれ、彼女に怖さを感じる人もいるのではないでしょうか。
それは、聡子の中にある優作への想いがあまりにも重く、もはや依存といっていいものであることが見えてくるため。
そんな、優作のためならば非常な切り捨てや危険な行いも辞さない聡子の人物像を、蒼井優が見事な熱演で表現しています。
個人的には、終盤の「お見事です!」は鳥肌モノでした。
高橋一生の表情の芝居に引き込まれる
『スパイの妻』におけるトリックスターであるのが、高橋一生演じる福原優作。
冷静沈着かつ合理的に物事を考える人で、自分の中に通った芯(正義)を曲げない人でもあります。
神戸で貿易会社を経営しているため、聡子が不自由のない生活を送れているのはまさに彼のおかげ。
享楽趣味なのか、自作の白黒映画を撮って社員に拾うするシーンも。
そんな優作が満州で行われていたある光景を目撃したことで、物語が大きく動きだすことに。
あまりにも悲惨なその光景に強い憤りを感じた優作は、自分の正義と信念に従い、国家に反逆する道を歩んでいくのです。
注目すべきは、高橋一生の表情の芝居。
もともと目で語るような芝居が特徴の俳優ではありますが、『スパイの妻』および福原優作というキャラクターにおいて、その演技力が遺憾なく発揮されていました。
愛する妻を思う良き夫としての表情と、義憤に駆られて大望を胸に抱く国家反逆者(スパイ)としての表情。
この二つの表情をうまく使い分けられるのは、高橋一生を置いて他にいないでしょう。
特に中盤、聡子との会話で優作の顔の半分に影がかかるシーンでは、演出もさることながら、高橋一生の表情の芝居によって、福原優作という人が見せる影の部分に引き込まれてしまうこと間違いなしです。
おわりに
第二次世界大戦において、日本という国が抱えてしまった歴史の闇。
黒沢清監督は『スパイの妻』という作品でそれを描きだしました。
実力派俳優陣たちによって体現されるあまりにも異様なサスペンスは、観る人に大きな衝撃を与え、心に爪痕を残すことでしょう。
それ故に、第77回ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞に結びついたのかもしれませんね。
まだご覧になられていなくて、本記事で少しでもご興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、ぜひ劇場に足を運んでみてください。