小説『罪の声』の著者・塩田武士が、俳優・大泉洋を主人公にあて書きし、苦境に立たされる出版会社を舞台にした“騙し合い”を描いた小説『騙し絵の牙』。
大泉洋を当て書きしたという主人公のキャラクター性や、各登場人物の思惑が交錯していくストーリーが話題となり、2018年本屋大賞にランクインするなど、世間の注目を集めた小説だ。
そんな小説が(原作通り)大泉洋主演で映画化され、今年3月26日(金)に公開されたのだが、この映画、原作をベースにしながらも映画用にストーリーが再構築されているため、原作小説未読の方はもちろん、原作小説読了済みの方も新鮮な気持ちで楽しめる作品になっている。
今回は、映画『騙し絵の牙』がどう生まれ変わったのかを紹介する。
あらすじ
かねてからの出版不況に加えて創業一族の社長が急逝してしまい、次期社長を巡る権力争いが勃発中の大手出版社「薫風社」。
専務・ 東松(佐藤浩市)が進める大改革により、雑誌は次々と廃刊のピンチに陥っていた。
会社のお荷物雑誌「トリニティ」の変わり者編集長・ 速水(大泉洋)も、無理難題を押し付けられて窮地に立たされてしまうのだが…、この一見頼りない男、実は笑顔の裏にとんでもない“牙”を秘めていた!
クセモノ揃いの上層部・作家・同僚たちによる、嘘、裏切り、リーク、告発といった陰謀が渦巻く中、新人編集者・高野(松岡茉優)を巻き込んだ速水の生き残りをかけた大逆転の奇策とは!?
そして、最後に笑うのは果たして誰なのか…。
当て書きされたはずなのに大泉色は控えめ!?
冒頭でも述べたように、主人公の速水は大泉洋を当て書きして描かれた人物。
原作小説を読んでいると、普段は瓢々とした雰囲気や言動を放ちながらも雑誌のために方々を駆けずり回るなど熱い一面も併せ持ち、それでいてふとした瞬間に切れ者の一面ものぞかせるなど、確かに大泉洋が演じてきたような役・作品が自然と浮かんでくる人物像になっている。
一方、映画『騙し絵の牙』はというと、原作ほど“大泉色”がでていない。
それもそのはず、公開前の3月3日(木)に「騙し合いバトル開幕式」と称して行われたイベントで大泉が、「私が演じた芝居を『今のちょっと大泉さんぽいね、もう1回だ』って監督は絶対許さなかったですね。『いや、大泉さんじゃない、速水だ』と。ある意味、私が観た映画の中で一番私っぽくなかった」と語っているように、監督を務めた吉田大八はあえて原作のもつイメージを崩しにかかっている。
『騙し絵の牙』という小説を原作にしながらも全く別のオリジナル作品のようになっているのは、吉田大八監督の強いこだわりと綿密な設計図をもとに撮影されたからだ。
原作に沿った映像化を望んでいたファンもいるかと思うが、『桐島、部活やめるってよ』で高い評価を受けた吉田監督の手腕によって、この展開も面白いと思わせてくれる作品に仕上がっている。
原作では目立たなかった人物が重要キャラに!
前述の通り、映画ならではの改変がなされている本作。
そしてそれは、主人公だけにとどまらず他の登場人物たちにも及んでいる。
例えば池田エライザ演じるモデルの城島咲は、原作では雑誌・トリニティの新たな目玉連載として少し絡む程度だったが、映画版では速水の型破りな大胆さを強調するある事件に大きく関わってくる人物にリファインされている。
その他にも、薫風社内の人物と速水との関係性、新人作家の立ち位置、完全オリジナルキャラクターの登場、それぞれの人物の思惑など、あらゆるところで原作小説と違う設定・展開が現れる。
そのため、原作小説を読んだ方も、新鮮な気持ちで『騙し絵の牙』の物語を楽しむことができるのではないだろうか。
おわりに
改変といっても原作の良さをぶち壊す中途半端なものではなく、完全に新作のような気持ちで見れるくらい振り切っているので、全く新しい作品として生まれ変わったといって過言ではない「映画『騙し絵の牙』」。
原作を読んだ方はその違いを確かめに劇場に足を運ぶもよし、原作未読の方は鑑賞後に改めて原作を読んでみるもよし。
両方とも楽しんで、どちらの『騙し絵の牙』が好みか感想を語り合えるようになっているのも面白いと感じた。