池玲子vs杉本美樹!70年代東映アクションの頂上決戦『前科おんな 殺し節』
『前科おんな 殺し節』Ⓒ東映

 1970年代に一時代を築いた東映の2大スター女優・池玲子杉本美樹が共演した『前科おんな 殺し節』を紹介します。

70年代を盛り上げた熱い作品群「ピンキー・バイオレンス」

 70年代、テレビの人気に押されて往時の勢いを失いつつあった映画界にあって、東映はバイオレンス=暴力描写を全面に押し出した過激な作品を果敢に送り出して話題を集めていました。その中で特に有名なのが、『仁義なき戦い』(1973年)に代表される「実録やくざ路線」と呼ばれる一連の作品。 その一方で、若い女性たちが集団で血みどろの争いを繰り広げるアクション映画も盛んに制作されていました。これらの作品は現在は総称として「ピンキー・バイオレンス」と呼ばれ、お色気要素を売りにしつつも、誰にも負けない強さと人には見せない弱さを抱えたヒロインたちによる熱いドラマも見どころがあり、現在まで根強い人気を誇っています。

日本映画の斜陽期に咲き誇った花たち

 当時の日本映画界は斜陽期とはいえ、まだ豪華な「2本立て興行」が続いていました。「ピンキー・バイオレンス」は『昭和残侠伝』や『仁義なき戦い』といったメインの上映作品に対する「添え物」として企画されたもので、少ない予算、短い期間で作られるため、若くて美しく、 厳しい撮影にも耐えられる根性を持った女優が必要でした。そこで抜擢されたのが、お色気コメディ『温泉みみず芸者』(1971年)で同時にデビューしていた池玲子杉本美樹。ほとんど演技経験のなかった2人は、『週刊プレイボーイ』や『平凡パンチ』といった男性誌のグラビアページで人気を集めたこともあり、『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』(1971年)を皮切りに、 アクション映画の主演や他作品への客演を合わせると、 ほぼ1か月に1本というハイペースで立て続けに映画に出続けることになります。

メキメキと成長する2人の演技力

 2人が出演する主な人気シリーズは「女番長(スケバン)」シリーズや、「恐怖女子高校」シリーズなど。どちらも学園や繁華街を舞台に対立する不良少女たちのグループが縄張り争いを起こす「スケバン映画」で、時にはやくざたちも巻き込んで激しい抗争に発展することも。腐敗した教育者たちを徹底的に叩きのめしたり、学生運動の鎮圧で当時はニュースで頻繁に登場していた機動隊と全面衝突する作品もあります。
 これはシリーズを順番に観ていくとわかるのですが、最初はお世辞にも上手いとは言えなかった2人の演技力が、作品を重ねるごとにメキメキと成長していくことに驚かされます。彼女たちはいつの間にか長いセリフも難なくこなせるようになり、エロティックな場面が目当ての観客を当て込んだ当初の荒っぽい作風から、スタッフとの信頼関係がなければ成立しえない、彼女のたちの演技を中心に据えたハードボイルドな青春群像劇というテーマが強く打ち出されるようになっていきました。劇中で激しいバトルを繰り広げるのと同じように実力をつけていく2人。それから2年後、女優としてすっかり成長した2人が学園を舞台にしたシリーズを飛び出してさらに激しい戦いに挑んだのが『前科おんな 殺し節』(1973年)です。

刑務所の中で出会った2人が対決!

 物語は、たった一人でやくざの幹部を待ち伏せし、斬りつけた女・マキ(池玲子)が、クセ者たちが集まる女子刑務所に送られる場面から始まります。過去を語らず、周囲と一切馴染もうとしなかったマキは目をつけられ、政代(杉本美樹)と決闘をすることになります。これまでのスケバン映画で何度となく勝負をしてきた2人が、改めて大人の女性同士として対峙する緊張の一瞬…切れ味に磨きのかかったアクションから目が離せません。かつてマキが犯行に及んだのは、ドラッグの売人をさせられた上に口封じで殺された父親の復讐をするためでした。
 出所したマキは、同じくやくざ組織に歯向かっていた乱暴者のテツ(地井武男)の力を借り、今度こそ復讐を果たそうと動き始めます。そこにまたしても立ちはだかる政代。 「何も言わずにこの街を出ていきな。お前さんとだけは、命のやりとりをしたくないからさ…」とそう淡々と語る政代にいったい何があったのか…? 刑務所の外でも事を構えることになってしまった2人の対決のゆくえは果たしてどうなるのか? 晩年の『ちい散歩』での姿からはまったく想像できない、地井武男の荒々しいアウトロー演技も見どころです。

東映チャンネル

前科おんな 殺し節
11月9日(月)25:30~27:00 [再]=20

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