名探偵・多羅尾伴内 戦後の日本で人気を博した娯楽シリーズ
『多羅尾伴内シリーズ 隼の魔王』©東映

 シャーロック・ホームズ、エルキュール・ポアロらと並ぶ名探偵の代名詞として日本には金田一耕助がいますが、名探偵といえばこの方、多羅尾伴内(たらお・ばんない)も忘れてはいけません。時代劇スターの片岡千恵蔵がスーツ姿に身を包み難事件を解決。11作品におよぶ人気映画シリーズとなりました。

時代劇スターが現代劇に転身!

 1945年(昭和20年)、太平洋戦争で敗戦した日本ではGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による占領統治が始まり、映画界にもその規制が及びました。そのうちのひとつが「チャンバラ禁止令」……仇討ちや切腹といった場面が「軍国主義的である」とされ、1951年(昭和26年)のサンフランシスコ講和条約によって日本の主権が回復するまで、刀を持って戦う場面のある時代劇が一切製作できなくなってしまいます。時代劇は当時の日本映画の主力をなす、今よりもずっと盛んなジャンルで、映画界にとってこれは大きな痛手でした。
 特に困ってしまったのは時代劇映画の主演スターたちと、ほとんど専門で時代劇を作り続けていた京都の撮影所。1924年にデビューし、戦前から颯爽とチャンバラ映画で活躍していた片岡千恵蔵(かたおか・ちえぞう)も主演できる映画がなくなってしまったスターのひとりで、ただちに現代劇役者への転換が迫られました。そこで誕生したのが「名探偵・多羅尾伴内」。変装の名人である多羅尾が冴えない人物に扮して事件の現場に入り込み、最後にその正体を明かすというストーリーで、時代劇のチャンバラを銃撃戦に置き換えたものでした。

大スター・千恵蔵が現代劇でも大成功

cea8529fff148fea6ac7f916451f7a77 1024x576 - 名探偵・多羅尾伴内 戦後の日本で人気を博した娯楽シリーズ
『多羅尾伴内シリーズ 片目の魔王』©東映

 変装の名人である多羅尾伴内は、いつもは眼鏡をかけてボソボソとしゃべるとぼけた男で、今でいうオタクっぽさを先取りしたような人物。事件が起こると現場に現れ、飄々とした態度で警察の目をかいくぐり、事件の重要人物とコンタクトを取り始める……というのがいつものパターン。特技を活かして片目の運転手怪しげな老人に変装してヒロインの危機を救い、真犯人を突き止めると重要人物を集め、クライマックスの謎解き場面へ。真犯人から「貴様は誰だ!?」と問われた多羅尾伴内はこう答えます。

「七つの顔の男じゃよ。ある時は競馬師、ある時は私立探偵、ある時は画家、またある時は片目の運転手、ある時はインドの魔術師、またある時は老警官。しかしてその実体は……正義と真実の使徒、藤村大造だ!」

 なんと、多羅尾伴内にはさらなる正体が隠されており、その名は藤村大造。かつて「日本のアルセーヌ・ルパン」と呼ばれた怪盗紳士が改心し、社会のために戦っていたのです。こうして変装に次ぐ変装で冴えない人物ばかりを演じる千恵蔵が、最後の最後に本来の二枚目ぶりを発揮する……というのが毎回の見せ場になっていました。変装して危機を脱したり、強い人物になってアクションをこなしたり、という流れは、変身ヒーローものの原点といえるかもしれません。

 こうして1946年に作られた第1作『七つの顔』は大ヒット。千恵蔵が映画会社を移籍し、GHQの占領が終わってからも彼の当たり役としてシリーズは続き、1960年の『多羅尾伴内 七つの顔の男だぜ』まで11作品が製作されました。

おわりに

 ちなみに、GHQの統制下にあった時代に、『三本指の男』『獄門島』などの作品で千恵蔵も金田一耕助の役を演じています。金田一といえばの帽子に着物姿ですが、千恵蔵版金田一は多羅尾伴内と同じくスーツ姿。戦前から「探偵といえばスーツ」というイメージが強く、着物姿の金田一は石坂浩二が演じた1976年公開の『犬神家の一族』まで待たなければいけません。
 その後、多羅尾伴内役は小林旭に引き継がれ、1978年に2作品が作られたほか、「ある時は〇〇、またある時は……」というお決まりの口上は、永井豪原作の人気アニメ『キューティー・ハニー』の元ネタにもなっています。
 また、ミュージシャンの大瀧詠一は本来の歌手活動とは異なる仕事をする場合に変名として「多羅尾伴内」を使うことがありました(大瀧自身も多羅尾の変装のひとつであるというジョーク)。新作の製作はなくなりましたが、現在も密かにリスペクトされている、偉大なる名探偵なのです。

東映チャンネル

多羅尾伴内シリーズ 片目の魔王
9月1日(火)11.00~13.00 [再]=13

多羅尾伴内シリーズ 隼の魔王
9月2日(水)11:00~12:30 [再]=13

多羅尾伴内シリーズ 復讐の七仮面
9月3日(木)11:00~13:00 [再]=13

あなたにオススメ